ツィッターにはちょっと書きましたが(いつも以上に辛口です)
これはファミコンのDVD発売の頃に書いたものです。
書きかけてアップせずにそのままにしており、やはりアップは大人げ無いから・・と思っていましたが。
でもやはりどうにも我慢出来なくなりました(>_<)アップする事に決めました。おそらく大多数の方がこの記事を読まれて「何のこと?」と思うか「あ~」と思うかだと思えます。
我慢の限界です。ですからバカを承知で、こんな事をしても一銭の得にもならないどころか、かえって多くの人を敵に回すのを承知で書きます。
書かなければ、黙っていれば「容認している事」になると思うからです。自分でもバカだとは思えますが。
下の文章はずっと前に書いて保存して有ったものです。
___________________________________________________
ずっと心の中でわだかまっていて、以前ツィッターとかにちょろっと書いたら「勘の良い方」がすぐにメールをくださいました。
メールをくださった方には何度もお目にかかった事も有り、割と住まいも近かったりします。お誕生日のプレゼントも頂くほどです。
そして「同感」と言って頂けてすごく嬉しかったのです。しかしこのブログ記事を読まれると、おそらく大多数の方が「何様?」とか「偉そうに」とお怒りになると思ってます。
そして多くのツィッターでのフォロワーさんを失うかもしれないのは、承知の上です。なぜならば、これから書こうとしている方を一時期「容認してられる」と言うか「もてはやす感じの方」も沢山居られたからです。
その方達がこのブログを読まれたら、おそらく良い気持ちはなさらないだろうと思ってます。
でも私はどうしても「我慢出来ない」思いが有ります。それは私の事をいくら酷く言われても、あまり感じないと言うか、凹みはしますが「この方には、どんなに言っても判って貰えないのだろう。いわゆる価値観の相違だから」と思うことにします。
しかしそれが剛君に波及したり、剛君ファンの事までバカにされるのは、我慢出来かねます。
しかも、ちょっと前まではファンをもって任じてられたのに、手に平を返すように、チクチクと嫌みな書き込みをなさる事は、ちょっと~と思えます。
私はファンはタレントを映す鏡であり、ファンスタンスはそのファンの品格を表すモノだと思っております。
それゆえにあるタレントさんのファンを以て任じている方が、あまりにも下品な言動をなさると言う事は、そのタレントさん自身にも関わってくると思っております。
ブログとかツィッターは、どなたが見るか判らないモノです。りプをくれる方やコメントを下さる方のみが見る物では無いと思っております。ですから、剛君と関係の無いタレントさんのファンが、どう言う事をなさろうと黙認出来ますつもりです
心変わりをなさるのはご自由ですが、その場合は黙って去られたらどうなのでしょうか?
剛君も以前「その時は確かに楽しませて貰った事も有るのだから嫌いになったら手のひら返しにその人の悪口を言うのは」と言う事を先輩のGのKさんの結婚とお子様を授かった事を悲しみ怒ったファンがネットに批判を書いていた時にラジオで言っていた記憶が有ります。
前にもツィッターには書きましたが、私が気になる事は神社と言う場所は、神聖な場所であるはず。私などはその方がある事をなさったと同じ場所で、ふざけただけで同行のSさんから怒られました。
そう言う場所でも、ごく普通の場所ですらも恥ずかしいと思われる行動をとられて、それを黙認なさっていたどころか嬉しがられている方の書き込みを読んで、正直、悲しかった記憶が有ります。
お若い方ならばともかく、年配の女性が・・喜ぶか?って。偉そうでごめんなさい
今の日本では失われてしまった大事な事の一つに「場所に相応しい服装と立ち居振る舞い」と言うものが有りました。
今は、お葬式ですらも「革のバックが許され、金属のアクセサリーも許されている時代」ですが、昔は布のバックか許されてホースヘアーのバックであり、殺生をして得る皮のバックなどは厳禁でしたはず。アクセサリーもジェットか黒か白の真珠。お寺や神社では、物見遊山の気分ではなくて、敬虔な気持ちで行く事が大事だと教えてもらいました。
伊勢神宮や出雲大社、お寺でも永平寺とかでは今でも服装の決まりがあり、失礼に当たると思われる参拝客は参拝出来ないと言う厳しさは今でもあります。
話がそれました。
もう済んでしまった事をしつこく蒸し返す行動も「同じくらいかそれ以上に下品」だと怒られましたのでこれくらいにします。
でも私には嫌いになったのならば、もうその人のことを悪く書くのは正直、あまり褒められた行為とは思えません。
しかも多くの方が嘆いている中止の事に関して、いくら言質を取られないようにぼかして書いていても「鎧の下から衣が覗く」ごとく、、ひょっとして・・とその原因の一部に彼とその仕事が関係していると書かれるにいたって、私の中の何かが切れました。
我々ファンを馬鹿にするのはまあいいとしても、彼のことまで悪く言うのはどうなんだろう?
実は知り合いが別れた前の彼のことを新しい彼にずっと悪く言っていたそうです。すると、今の彼は「申し訳ないけれども、そこまで前の彼のことをしつこく悪く言う人の品性を疑うので、君がそう言う事を止めないのならば付き合えない」とキッパリと言われたとそうです。
私もこうやって人の事を書いているので、もちろん品性を疑われかねません。こういう事を書く事自体が下品な行為だと十分承知しています。
ですが、もう限界かもしれません。
私自身にも言える事でしょうが、ブログやツィッターは誰がどう見るか判らないツールです。ですから「気に入らなければ見るな」と言うのは、通用しない論理だと思っております。最低限のルールとして、引き際は綺麗にして欲しいとだけは願います。
書きかけてアップせずにそのままにしており、やはりアップは大人げ無いから・・と思っていましたが。
でもやはりどうにも我慢出来なくなりました(>_<)アップする事に決めました。おそらく大多数の方がこの記事を読まれて「何のこと?」と思うか「あ~」と思うかだと思えます。
我慢の限界です。ですからバカを承知で、こんな事をしても一銭の得にもならないどころか、かえって多くの人を敵に回すのを承知で書きます。
書かなければ、黙っていれば「容認している事」になると思うからです。自分でもバカだとは思えますが。
下の文章はずっと前に書いて保存して有ったものです。
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ずっと心の中でわだかまっていて、以前ツィッターとかにちょろっと書いたら「勘の良い方」がすぐにメールをくださいました。
メールをくださった方には何度もお目にかかった事も有り、割と住まいも近かったりします。お誕生日のプレゼントも頂くほどです。
そして「同感」と言って頂けてすごく嬉しかったのです。しかしこのブログ記事を読まれると、おそらく大多数の方が「何様?」とか「偉そうに」とお怒りになると思ってます。
そして多くのツィッターでのフォロワーさんを失うかもしれないのは、承知の上です。なぜならば、これから書こうとしている方を一時期「容認してられる」と言うか「もてはやす感じの方」も沢山居られたからです。
その方達がこのブログを読まれたら、おそらく良い気持ちはなさらないだろうと思ってます。
でも私はどうしても「我慢出来ない」思いが有ります。それは私の事をいくら酷く言われても、あまり感じないと言うか、凹みはしますが「この方には、どんなに言っても判って貰えないのだろう。いわゆる価値観の相違だから」と思うことにします。
しかしそれが剛君に波及したり、剛君ファンの事までバカにされるのは、我慢出来かねます。
しかも、ちょっと前まではファンをもって任じてられたのに、手に平を返すように、チクチクと嫌みな書き込みをなさる事は、ちょっと~と思えます。
私はファンはタレントを映す鏡であり、ファンスタンスはそのファンの品格を表すモノだと思っております。
それゆえにあるタレントさんのファンを以て任じている方が、あまりにも下品な言動をなさると言う事は、そのタレントさん自身にも関わってくると思っております。
ブログとかツィッターは、どなたが見るか判らないモノです。りプをくれる方やコメントを下さる方のみが見る物では無いと思っております。ですから、剛君と関係の無いタレントさんのファンが、どう言う事をなさろうと黙認出来ますつもりです
心変わりをなさるのはご自由ですが、その場合は黙って去られたらどうなのでしょうか?
剛君も以前「その時は確かに楽しませて貰った事も有るのだから嫌いになったら手のひら返しにその人の悪口を言うのは」と言う事を先輩のGのKさんの結婚とお子様を授かった事を悲しみ怒ったファンがネットに批判を書いていた時にラジオで言っていた記憶が有ります。
前にもツィッターには書きましたが、私が気になる事は神社と言う場所は、神聖な場所であるはず。私などはその方がある事をなさったと同じ場所で、ふざけただけで同行のSさんから怒られました。
そう言う場所でも、ごく普通の場所ですらも恥ずかしいと思われる行動をとられて、それを黙認なさっていたどころか嬉しがられている方の書き込みを読んで、正直、悲しかった記憶が有ります。
お若い方ならばともかく、年配の女性が・・喜ぶか?って。偉そうでごめんなさい
今の日本では失われてしまった大事な事の一つに「場所に相応しい服装と立ち居振る舞い」と言うものが有りました。
今は、お葬式ですらも「革のバックが許され、金属のアクセサリーも許されている時代」ですが、昔は布のバックか許されてホースヘアーのバックであり、殺生をして得る皮のバックなどは厳禁でしたはず。アクセサリーもジェットか黒か白の真珠。お寺や神社では、物見遊山の気分ではなくて、敬虔な気持ちで行く事が大事だと教えてもらいました。
伊勢神宮や出雲大社、お寺でも永平寺とかでは今でも服装の決まりがあり、失礼に当たると思われる参拝客は参拝出来ないと言う厳しさは今でもあります。
話がそれました。
もう済んでしまった事をしつこく蒸し返す行動も「同じくらいかそれ以上に下品」だと怒られましたのでこれくらいにします。
でも私には嫌いになったのならば、もうその人のことを悪く書くのは正直、あまり褒められた行為とは思えません。
しかも多くの方が嘆いている中止の事に関して、いくら言質を取られないようにぼかして書いていても「鎧の下から衣が覗く」ごとく、、ひょっとして・・とその原因の一部に彼とその仕事が関係していると書かれるにいたって、私の中の何かが切れました。
我々ファンを馬鹿にするのはまあいいとしても、彼のことまで悪く言うのはどうなんだろう?
実は知り合いが別れた前の彼のことを新しい彼にずっと悪く言っていたそうです。すると、今の彼は「申し訳ないけれども、そこまで前の彼のことをしつこく悪く言う人の品性を疑うので、君がそう言う事を止めないのならば付き合えない」とキッパリと言われたとそうです。
私もこうやって人の事を書いているので、もちろん品性を疑われかねません。こういう事を書く事自体が下品な行為だと十分承知しています。
ですが、もう限界かもしれません。
私自身にも言える事でしょうが、ブログやツィッターは誰がどう見るか判らないツールです。ですから「気に入らなければ見るな」と言うのは、通用しない論理だと思っております。最低限のルールとして、引き際は綺麗にして欲しいとだけは願います。