赤坂サカスの宮本亜門氏凱旋公演「金閣寺」に行きました。

今更な話題なのですが、立春の日、思い立って「金閣寺」を赤坂サカスに見に行ってまいりました。

この日は剛君の映画「平安結祈」のチラシが上映館で配られるとか。それで当初の予定は、自宅⇒渋谷(映画館でチラシを貰う)(地下鉄で赤坂)⇒赤坂サカス(金閣寺を見る)⇒六本木(渋谷で無かったら、六本木ヒルズの映画館に行く)⇒日本橋(奈良まほろば館とデパートに買い物)⇒自宅の予定でした。

しかし思いの外、自宅を出るのに手間取りまして、渋谷について「TOHOシネマズ」探しましたがタイムアウト。

今になって思うと目茶目茶方角違いを探していました。

渋谷ハチ公改札を出て109を目指し、LASH(剛君が以前の元旦コンで光一さんにプレゼントした詰め合わせがラッシュの製品でした)を過ぎてそのまま行くと一階が「クリスピークリーム」になっている場所でしたが・・(次の日、5日に無事にチラシをゲットしました)
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チラシの裏(メンバーさんの紹介)
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ムビチケも、Jチケットで買ったのですがついでに買いました。

時間が無くなったのでタクシーで赤坂サカスまで。

渋谷からの途中で「乃木坂」で「SHCOK」の大きな看板を見ました。

赤坂サカスは、剛君のライブを赤坂BLITZをして、ウォータライズをした場所。懐かしく思えました。

「金閣寺の看板」
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赤坂アクトシアターは、こじんまりとしていて見やすかったです。しかし平日の昼なのに、客席は一杯。しかも明らかに年配の男性や舞台関係と思われる方が多い・・

舞台は古い感じの教室。

そこに大きな上下する黒板と椅子や机が無造作に置かれています。開演時間前なのに、気がつくと舞台の上には演者さんが三々五々舞台の上で思い思いに座ってられます。

もちろん聴き取れませんが、話し合っている方もおられますし、手に持った文庫本を読んでいる方も。

森田剛君が出てくると拍手が。

実は森田君のお芝居を見るのは、初めてです。テレビでも見た事がない私。

舞台が暗くなって開演となります。幕が無い舞台なので唐突な感じでした。

最初に舞台の上の演者さんが三島の金閣寺を朗読。そこから我々は演者さんと共に舞台に否応無しに引きずり込まれます。

森田さんの声って、驚いたのは結構にハイトーンなんですね~。声にすごく少年っぽさを感じてしまい、余計に主人公の溝口の内面的な「幼さ」?という感じが伝わりやすかったかもしれません

ここから先は、ランダムな感想になりますし、三島研究家でもない舞台専門家でもない、舞台が好きなだけの素人のオバちゃんの戯言と思って読み流してくだされば幸いです。「今更、何をぬかすか」とか「そんな感想しか書けないのか?」と思われるとは思えますが。

私の中では、舞台を見終わってから、ある関係の書き込みをネットで見て、なんだかその事とリンクしてしまっておりまして、いささかバイアスが掛った見方をしているとは思えますがご容赦ください。

まず見終わってから感じた事は、溝口が最初に「本物の金閣寺」を見た感想が実は「彼にとっての本当の金閣手寺」だったのじゃないか?と。

それ以後の溝口にとっては「金閣寺」は「現実逃避の手段、シンボルとして、実際以上に美化・偶像化しているのではないか?」と思えました。

それは舞台が進行していくうちに段々と私の中で、その考えが大きくなっていきました。

そしてそれは舞台を見終わって、数日後、ある出来事に関してのそのタレントさんのファンの擁護書き込みを見て、余計にそう思えました。「彼女達はもしかしたら、現実のタレントさんの姿では無くて、自分の中で美化して偶像化して絶対視している「タレントさん像」を見ているのじゃないか?と言う感覚とリンクしてしまいました。

その詳細は後で述べますが、溝口にとっても、その父にとっても「この世のものとは思えないほど綺麗で荘厳で侵しがたい品格の有る金閣寺」は、自分たちが作り出した「幻」であり「現実逃避のシンボル」ではなかったのじゃないかと思えました。

私自身の中にも溝口のような「人やモノに完璧を求める完璧主義者」的な要素が有りまして、若い頃はそれが顕著でしたが、今はそれなりに「そんな事が有る訳がない」と「一人の人間の中の清濁を併せ持つ人間性」も許容出来るようにはなりましたとは思えますが。

だからこそ「自分の中の嫌な部分を見せつけられるようで辛かった」ですね~、この舞台は。

例えば、金閣寺の住職を溝口は「全知全能で俗世から超越している人物」と最初から思いこみ、溝口が嘘をついたことに関しても「住職様はすべてお見通しのはず」と信じ込み、住職がその嘘を見抜けない事に勝手に苛立つ。

私にしてみると「あなたが勝手に自分の中に『全能で高徳な住職』を作り上げて、それが『虚像』だと判ると、勝手に怒っているだけじゃないか」と思えます。

これは溝口だけじゃなくても、勿論、私の中にも有りますし、ネットや何かで見かけるテレビなどのメディアや雑誌のインタビューからしか窺い知れない筈のタレント像を「この人はこういう人だ」と決めて、それを基盤として意見を述べている人にも共通すると私は意地悪く思ってしまいます。

そして「この人達は、万が一、その好きなタレントさんがそうじゃ無かったと判った時には、どうするんだろう?」と余計なお世話の感情すら湧きます。

話を「金閣寺」に戻します。

溝口は大学の友である「鶴川」にすら「絶対的に綺麗な心の持ち主で、一点の曇りも無い明るい世界に属しているはずで、しかもその明るい正義の立場から一歩たりとも汚く醜い溝口達の居る世界に足を踏み入れてはならない存在」と勝手に思い込み、思い込むだけじゃなく、彼はそれを鶴川に要求します。

これは、される側からみると誠にシンドイと思う。

実は鶴川は柏木と言う身体の不自由さを逆手にとって世渡りする、ずる賢くこの世のありとあらゆる悪徳を実践して生きている男に恋心を持ち憧れ、あまつさえ付きあってさえいた。ところが二人の関係が親にばれる時に自殺すらしてしまう人です。

しかも「大事な親友」と溝口は思い込んでいたはずの鶴川は、柏木にだけ恋文に近い遺書を残していた・・・

鶴川じゃ無くても、こう言う溝口の思いは「重い」と思えますが。どんな人間にも「正の部分」と「負の部分」が有って当然のはずなのですが、溝口のように「自分は負の寄せ集めのような人間。でも君は明るくて一転曇りの無い世界で生きている人でそこでしか暮らしてはいけない人間なんだ」なんて、勝手に思い込まれて「こうあるべきだ」と言われても、そりゃあシンドイだろうと思えます。

って、舞台の感想から遠のいてきました。

一旦切ります。

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